・72日目

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72日目。

あと、108日。

変化は有った。

無気力で死にたくなる度合いが増えてきた。


精神的な暴力が、孤立無援を感じさせるには充分だった。

世間はコロナで盛り上がっているようだけれど、私には、当初から「そんなもんで死ねるならもってこい」としか思っていなかった。

「全ての人間が死ねばいいのに。私がまっさきに死ねば、全ての人間は生きたまま私から消えるだけだし、私が消えても誰も気が付かない」が加速するだろうなと思っていた。

元々独りだった。

精神的な暴力に対して、誰もが目を背けた。

私は、コロナから目を背け続けている。

そんなに死ぬのが怖いのだろうか?そんなに恐怖を煽られるのは怖いのだろうか。
毎日毎日、自分からテレビを見て怖がっているのと、止めて欲しいという言葉が伝わらないまま心を殺されるのと、どちらが辛いのだろうか。

コロナだろうが、精神的な暴力だろうが、どちらにしても、もう、私にとってはどうでも良いことだ。


コロナは信じている人もいるらしいけれど、私の精神的暴力に対する疲弊や恐怖は誰も信じなかった。だから、コロナで騒いでいても、信じなくても良いのだと思う。

「そうしても良い」と、接した誰もが私に対してそうしてきたのだから。


ようやく、他人の精神的な苦痛を無視するという立場に立てるようになると、「私は、その苦しんでいる人達から距離をおいて、無視したい。関わりたくない」と強く思う。きっと、私が20年間苦しんでいたことに対しても、彼らはそういう気持ちでいたのだろう。

そして、それが許されるようなので、私は自分に優しくすることをしなかったから「彼らの苦しみを全て無視する」という事をしている。

彼らが自分の身をを守って、他人の苦痛を全くの他人事にして自分に優しくしているのが許されるのだというものを押し付けられてきたのだから、私も自分を守って、他人の苦痛を全くの他人事にして、自分に優しくしようと思う。

そして、言われたことを言おうと思う。

「自業自得なんじゃないの?」。これも言って良いことだったらしいから。

「へ~、大変なんだねえ」。これも言って良いことだったらしいから。

「がんばってね」と、沢山言おうと思う。これも言って良いことだったらしいから。


彼らが私にやったことは、元夫がやったことも合わせて「死ねばいい。死ね。」というメッセージだった。


感謝する相手もだれもいない。


何も食べなくて、何もしていない。
ただ、機械のように全て自分の外に追い出して、彼らと元夫がやったことをやっているのだと気がついた。

「何も起こっていないじゃないか?」「苦しんでるふりなんじゃないのか?」「ごめん、忙しいから」「時間だからじゃあね」。
彼らが言った言葉は言って良い言葉なのだと思う。

そんなきつい言葉が許されるのなら、大いに自分を甘やかそうと思う。

それで、誰かが死んでも「え?なんで?」って言うのも許されているらしいので、そう言おうと思う。楽だし自分に優しい。


何を言っても「めんどくさい」という気持ちを言葉を変えて適当に流し、完全無視しても良いのだと、元夫も私に接した人達も全てそうだったのだから、同じことをしているのだなと思った。


誰かのせいにするというのも許されるらしい。

元夫のせい、社会のせい、全ての人のせい。

何もやる気が無い。


自分が死ねばいいという事しか分からない。


カウンセラーは言った。

「人に優しくできるのに、なぜ自分に厳しいの?」

そうだなあと思った。

「人に無関心で、自分に優しくしろ」というのが、カウンセラーの普通らしい。


それだって、充分「死ねよ。あなたの生き方は異常」という意味にしか今は聞こえない。


死ねよ。自分。

秒刻みで襲ってくるその現実のほうが、私にとって優しい。









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